朝からうだるような暑さで、少し体が重く感じたのも、この暑さのせいだと思っていた。
アパートからマクスウェルアベニューを東へと歩き、小さな道を右へ曲がり少し歩くとギルドへと着く。ギルドへ入ると外の熱気が嘘のようにひんやりとした風が体を包んだ。
「…こんにちは、マスター…」
ほうっと息をつきながらいつものように挨拶をする。
「よう、お嬢ちゃんか。…ん?」
ホログラフィを見ていたマスターは、こちらに顔を向けると眉を顰めた。
…人の顔見るなり眉顰めるなんて失礼よ。
「なあに?マスター。変な顔して…」
思わずこっちも眉を顰めてしまう。
「…お嬢ちゃん、顔が赤いぞ」
「え…?そう?うーん、外暑いから、焼けちゃったかな…」
「そうじゃなくてだな」
「?」
『来い来い』と手招きするマスターに、訳がわからないまま近寄っていく。
…暑さによっぽどまいっちゃったのかな、足が妙にふらつく。
「ひゃっ…」
不意に額に手を当てられた。
へ、変な声を出してしまったわ…。
でも、いきなりそんなことをされたら驚くに決まってるもの。
…あ、でもマスターの手、冷たくて気持ちいい…。
思わず目を閉じかけた時、思い切り溜め息を吐かれた。
けわしい顔。
「お嬢ちゃん、今日はもう帰んな」
「えー?来たばっかだよ…!?」
「病人にやる仕事なんてないぞ」
マスターの言葉に瞬き数回。
「病人…?」
ああ、また、溜め息。
溜め息吐くと幸せが逃げちゃうんだよ、マスター。
「熱あるぞ。…全く、それだけ熱あって無自覚とはね…」
ねつ?
確かになんだか熱いような寒いような感じだけど…今まで暑い外にいて、今は涼しい店内にいるんだからおかしくないと思うの。
体が重いのだって、きっと暑さのせい。
「マスター、私別に…」
抗議しかけた時、視界がゆらりと揺れる。
あれ…?
「おい!」
マスターのこえが、なんだか、とおくに聞こえるわ…。
「ます、たー…?」
しろくそまるせかい。
きもちわるい…。
あやふやな世界の中で、左腕だけが、妙にはっきりと感覚を保っていた。
腕を掴まれている。
おおきな手で。
それが誰の手か頭が処理する前に、私は意識を手放した。
「ん…?」
ひやり、冷たい感触。
ふわり、浮上する意識。
「おお。起きたか、お嬢ちゃん」
ゆっくり目を開けて。
重たい頭を巡らして。
「マスター…?」
目に入ったのはほっとしたようなマスターの顔。
「覚えてるか?お嬢ちゃん、倒れたんだぞ」
「え…!?」
ビックリして起き上がろうとして、頭がすごく痛くて元の場所に戻ってしまった。
そうしてやっと気付いた。
自分が、ソファに寝かされていたことに。
それに、今いる部屋も、前にウィルと来た時に入ったことのある、店の奥の部屋みたい。
運んでくれたのかな…?
「しばらく寝ときな。今ウィルのやつに迎えにこさせるから」
ぽんぽんと頭を撫でられる。
冷たくて大きな手に、意識を失う前と取り戻す瞬間がフラッシュバックする。
そっか…意識を失う前に腕を掴んでくれたのも、さっきの額の冷たい感触も、マスターの手だったんだ…。
私の顔を覗き込むようにソファの側で屈んでいたマスターは、立ち上がりながら手を離した。
マスターの手が離されたのがなんだか名残惜しくて、ぼんやりと大きな手を見詰める。
「じゃあ、俺は店に戻るからおとなしく寝てるんだぞ」
あ…。
「……………」
あ、あれ。
何やってるんだろう、私。
なんで、マスターの服、掴んじゃってるのかな。
「…ったく。仕方ねぇなぁ」
そう言ってマスターは私が寝てるすぐ横に腰掛け、私の頭をマスターの膝に乗せた。
「爺さんが特別に膝枕してやる」
ぱちくり、瞬き数回。
「ま、マスター?」
「側にいてやるから、寝ときな」
ひやりとしたマスターの手が今度は目を覆うように乗せられる。
やっぱり気持ち良い…。
安心する温度。
「ごめんなさい、マスター…」
「…今度から体調管理には気をつけるんだぞ」
「うん…」
マスターの膝は枕よりずっと固くて、お世辞にも居心地が良いなんて言えない。
けれど、とても安心する。
嬉しくて切なくて、失った何かを思い出させる。
暖かく、包まれているかのような感覚。
それを手放すのが嫌で、目の上にあるマスターの手を握りしめて、ゆっくりと意識を手放した。
ハルから連絡を受けてギルドに来てみたものの、店には誰もいない。
ハルの席に広げられたホログラフィの一つには、大きく『休憩中』の文字。
奥の部屋だろうかと覗いてみて、僕は固まった。
「おう。遅かったな」
ハルと、ユノちゃん。
それは、良いんだけど…。
ハルが膝枕してるところなんて初めて見た。
その上、ユノちゃん、ハルの手握ってるし。
「ハル、いくらなんでもそれは犯ざ…」
ぼすんっ。
言おうとした言葉はハルの手元にあったクッションによって遮られた。
眼鏡に当てないで欲しいなあ…。
「馬鹿言ってんじゃねえ」
「はいはい。…ユノちゃん、寝てるんですか?」
「ああ。起こすなよ」
ユノちゃんを起こさないようにハルの手からユノちゃんの手を離して、代わりにさっき投げられたクッションを握らせる。
「クッション、借りていきますね」
ソファからユノちゃんを抱き上げる。
「お嬢ちゃんはすぐ無茶するからな。もうちょっと気をつけてやれ」
「ええ。わかってますよ。…じゃ、クッションは今度返しに来ますから」
「おう」
ユノちゃんをぶつけないように気をつけながら店を出て、外の暑さに顔を顰める。暑い。
「…マスター…」
腕の中のユノちゃんがハルを呼んだ。
起こしちゃったかと思って顔を覗き込むと、安らかな寝顔。
寝言だったみたいだ。
それにしても…。
安らかな寝顔。
強く握りしめられたクッション。
さっきの寝言。
「先生は、複雑です…」
END
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『ハル、いくらなんでもそれは犯罪』の台詞を言わせたいがために最後にウィル出演。
孫を可愛がる爺さんにとても萌えます。